歴史

ハワイ王国
当時ハワイは各島それぞれ個別に支配していた。ハワイ島(big island)を統治していた王・「カラニオプウ」は、1778年、ジェームズ・クックというイギリスの海洋探検家が、オアフ島・カウアイ島を「発見」した。
イギリス人のみならずヨーロッパ人として初めての上陸だった。クックは同行していた上司の「サンドウィッチの名を冠しサンドイッチ諸島と命名する前に現地人の中では最大の島「Hawaii島」により諸島全体もハワイと称されていた。
ハワイ王カメハメハ1世
カメハメハ1世以前は各島それぞれに部族の酋長が統治し、マウイ島は「カヘキリ」という酋長が統治し、酋長は世襲制であったが、ハワイ州全体の62%の面積を占めるハワイ島の酋長「カラニオプウ」が最大の権力者であった。
軍隊の指揮官であった「カラニオプウ」の甥に当たる「カメハメハ」はハワイ島のコハラ及びコナを領地として割譲され統治した。これに立腹する物もいたが、軍隊の指揮官でもあった「カメハメハ」は軍事力を盾にハワイ諸島全体を統治していった。

クックのハワイ諸島発見以降、交易を求める者や植民地主義の帝国からの来航が頻発していたが、王として「カメハメハ」は、外交手腕にも優れ、欧米列国の領土拡張を防いでいた。

防衛面ではハワイにおける安全面としてイギリス海軍の安全を保障すると共に食料を与える代わりに武器を購入し、「カメハメハ」はハワイ諸島統一に向けて大きく動き出し、カウアイ島の大族長「カウムアリイ」との話し合いを行い、彼の安全を保障する事を条件に、カウアイ島およびニイハウ島を譲り受け、カメハメハはハワイ諸島の統一を成し遂げ以降、アメリカ合衆国のハワイ州となるまで彼の一族は統治を続けた、偉大な王である。

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